いや、むしろ、寂しい団体だったんだね、というべきだろうか。私が所属しており、今年の7月まで部長を務めたimpression!という団体についてである。

 私がこう思ったキッカケは、実に些細なことである。impression!では昨年度から、学校祭でテントを出し、ポストカードとCDを販売しており、今年もそれを行う予定であった。昨年度はポストカードの参加者は10人程度だったと記憶している。CDは5人程度。まさに部が全体として参加していた。それが今年のポストカードの参加者はたったの3人のようだ。CDにいたってはどうなっているのか全く見当もつかない状態である。

 もはや、3年生以下に委ねた今となっては私はもちろんノータッチだった。しかしながら、今日は流石に動いた。もはや働くべきでない上級生、しかも病人である私が動かないと、どうしようもなくなってしまっているようだった。

 ポストカードの参加者がたったの3人なのは仕方がない。それは作る時間がなかったとか、作るだけの技量がなかったという、それだけのことである。

 しかしながら、それでは何故、テントをやることになったのか。私はノータッチだったのでなんとも言えない。ただ、仮説を立てるのみである。一つ目の仮説は「運営がバカだった」という説。つまり、ポストカードを出す人が少なく、運営側の負担が増えるばかりで、さほど部としてメリットがないのに、テントを出すということを強行的に決めてしまったという説だ。もはや、これでは話にならない。もうひとつは「部員が裏切った」という説だ。もともと、ポストカードを出すと言っていたのに、出さなくなった。運営に迷惑をかけることまで意識が回っていない。テントを出すと決まったのは3ヶ月も前だ。それから、ずっと絵を描く暇もないほど、時間がなかったということはあるまい。

 双方の可能性のどちらが真実だったのかは分からないが、ともに言えることがある。一部の部員を除いて、impression!に対する気配り、国で言うところの愛国心、故郷でいうところの郷土愛というものがないのだ。そんなことはない、現にこんなに顔を出しているし、イベントにも参加しているじゃないか、という反論があるかもしれない。私は、日本に住むことと、日本を愛することは違う、と答えよう。愛することというのは、多少の自己犠牲はかまわないということを含意している。自分が愛するもののことを何ヶ月もの間、一度たりとも考えないなどということはありえないだろう。私は一日たりとも、impression!のことを考えなかった日はない。むしろ、考えなかった時間がないといっても過言ではない。ここまで行くのは、もはや依存だが、1週間に1度くらい、部に顔を出して、部員と交流して、最近の部の様子について観察し、部のために何かするのは、部員の「務め」である。部員は「ただその場に存在する」だけでは意味が無い、というより、それは部員ではない。

 少しだけでも部のために考えていれば、今回の場合はテントで作品を販売するという活動をするということがわかっていて、担当者も分かっていたのだから、どうなっているか、どういう方針でいくつもりなのか、手伝うことはないか、自主的に聞いてしかるべきである。それがしっかりできていれば、今回のように、やってはみたものの、実は参加者が異常に少なく、運営が骨折り損になるかもしれない、というようなことは起こりえないはずである。

 部の活動は担当者が企画し、部員が参加するものではない。担当者が監督し、部員が創り上げるものだ。そこの意識がない。impression!でも他の団体でも組織でも会社でも、なんでもそうだが一人一人が考えて、行動しなければならない。それこそ、”One for All, All for One”という世界である。しかし、現状としてはごく一部の”One”が”One for All”の精神で働いているに過ぎない。そして、その”One”が苦しい時に、”All”は決して助けてくれない。助けてくれなかった。せいぜい、”One for One”である。

 impression!という団体の意義を、ただ「居心地のいい空間」としか捉えていないのではないか。もちろん、それも運営方針の一つである。組織規約にもちゃんと書いてある。しかし、我々の部はいわゆる「飲みサー」ではない。娯楽の一方で、しっかりとした価値のある活動をしていかなければならない。そのためには、ある程度、自分を削り、部のために貢献しなくてはいけない。「居心地のいい空間」というものは、それに対する報酬である。それを理解していないように思われる。

 何も言われないと何もできないではよくない。よくないどころか、いけない。当然だ。それは、部員としての務めを果たしておらず、部に何も利益をもたらさず、自分だけが利益を得ているだけである。それはどれだけ小さくても、少しずつ少しずつ、他の誰かに負担をかけている。例えば、自分が掃除をしなければ、誰かがやるハメになる。自分がやらなくても誰かがやってくれる。そうして、掃除をする人が決まってくる。その人の負担が大きくなる。甘い蜜を吸っているだけ。もはや寄生虫だ。

 しかも、今のimpression!には一声鳴くことができる「鶴」がいないようだ。鶴がいないために、誰も動けない。

 impression!という団体が寂しい、と言った理由はこれに尽きる。自分のことしか考えておらず、寄生虫としてしか生きない人が多すぎる。働いていても、指示を待たなければ動けない人間は全て寄生虫である。

 私は悲しい。

 もともと、部ができたときは、「すごい人がすごいことをするのを、すごくない人が手伝う団体」だった。私は任期中にそれを「すごくない人でも、頑張ってすごいことをしようとする団体」に形を変えた。一部の部員が主体となる部ではなく、全員が主体になる部の形に変えたつもりだった。どうやら、不十分だったようだ。

 今や、主体がなくなりつつある。一部の寄生虫が主体のフリをして、形だけイベントをし、それにいつもどおりすがる、寄生虫がいる。寄生虫だけの団体になりつつある。

 私がいたときに、大きな問題が起こらなかったのは、私が「鶴」という役割を果たしていただけなのかもしれない。私が操っていただけで、実は団体としての体をなしていなかったのかもしれない。そうすると、頑張っていたのが私だけのような気がして寂しくなってくる。

 私はこの団体のために1年間尽力してきた。しかし、今なら、はっきりと言える。

 ーーこのような形が続くのであれば、3年後には潰れる。そして、潰れても私は全く構わない。

 これの理由は簡単である。私が愛しているのは活動する部員たちの集合としてのimpression!であり、impression!という名を冠するだけの寄生虫の群れには興味がないからである。