さっき、ご飯を買いに外に出て返ってくる途中、佐川急便の人に声をかけられた。

「あ、南部様ですよね?」

 ちょうど、出かけてるときに荷物が届いて、他のマンションを回っていたときに見かけて声をかけてくれた様子。道路上で荷物の受け取りにサインをしたのははじめて。確かに、よくAmazonとかで佐川急便をよく利用するし、こっちも顔は覚えてたけど、向こうには顔を覚えてもらえているとは思わなかった。びっくりしたけど、ちょっと嬉しくなったし、佐川急便をまた利用したいと思えた。

 前に、スーパーで買物していたときに、よく行くラーメン屋のお母さんに挨拶されたこともあった。それもやっぱり嬉しかった。

 マンションの隣の部屋に住んでいる人も知らない社会。ものを買うときも、サービスを受けるときも、お金を対価に、知らない人が知らない人のために働いてる。それって、逆に言ったら、客それぞれの個性を無視して、「客」にしてる。そして、「客」として扱われる自分の人格も否定されてる気がする。

 お金を効率良く稼ぐには「顔の見えない」相手にも仕事して、お金をもらうグローバルのほうがいいかもしれないけど、ちょっとした「うれしい」を手に入れられるのは「顔の見える」相手に喜んでもらえたり、認めてもらえたりするローカルじゃないかな。いや、「顔が見える」じゃないな。「個性や人格が見える」と言ったほうがいいかもしれない。

 店員さんから言われる「ありがとうございました」よりも、友人から言われる「ありがとうございました」のほうがうれしいし、客から言われる「ごちそうさまでした」より、友人から言われる「ごちそうさまでした」のほうがうれしい。

 店員-客の関係だけじゃなく、友達の関係も薄くなってる気がする。友達にも遠慮しがちで、一線をおいてる。もちろん、友達だからって土足で上がりこんでいいわけじゃない。けど、ノックして「お邪魔します」っていうくらいで上がりこむくらいなら、むしろ「うれしい」と思うんだ。