「心の強さ」とは何か。以前、[「器」というものについて](http://inter-arteq.com/blog/utsuwa/ “「器」というものについて”という記事を書いた。

 心が壊れるかどうかというものは、単純に心の「強さ」だけじゃなくて、心の「大きさ」にもよる。いくら堅牢なコンクリートでできたダムですら貯水量が増えすぎると決壊する。いくら薄いガラスであっても、コップ一杯なら耐えられる。単純に心が壊れることが「弱さ」であるとしたら、「堅牢なコンクリート」よりも「薄いガラス」のほうが強いことになってしまう。大切なのは「大きさに見合う強さ」だ。

 自分が「うつ病」で入院したときに知り合った人も、うつ病になってしまった友人も、話を聞くと、何故そんなにツラいことを我慢できているのか、と不思議になるくらい耐えている。そして、耐えていることに気付いていない。俺は彼らの心が「弱い」とは決して思わない。いくら説得されても思うことができない。むしろ、心が大きすぎただけなのだと思う。

 もちろん、それ以前に水を入れ過ぎないように蛇口を調節したり、適度に放水することができるかどうかは大切。でも、そこは心の「強さ」というよりは、心の「管理機能」のところだと思う。無頓着な人のように蛇口を完全に締めている状態なら、心は絶対に壊れない。けど、それって「強い」のだろうか。

 できることなら、「心が弱い」と言う人の心の器に、同じ水の量を流し込んでやりたい。きっと壊れなかったとしても、溢れるだろう。その水の量が想像できているのだろうか。想像できていないからこそ、軽く「弱い」の一言で済ませるのではないか。そのことは果たして「強い」のか。

 たぶん、それはただの無頓着。

 「強いこと」と「無頓着」、この違いは大きい。