今日はなんとなくゲーム理論のことを思い出して、ちょこっと勉強していました。ゲーム理論には零和と非零和という2つの大きな視点があります。

 零和というのはゲーム終了後の参加者の得点の和が必ずゼロになるゲームのことです。例えばオセロなどは勝利を+1、敗北をー1、引き分けを0という風に定義すれば必ず、二人の得点の和は0になりますし、麻雀では最初の持ち点を基準に得点を計算すれば、全員の得点を足したときに0になります。

 逆に非零和ゲームはWin-Winの関係やLose-Loseの関係が生まれる可能性のあるゲームをいいます。

 Wikipediaの「非ゼロ和」の頁を見ると、次のようなことが書いてありました。

例えば、恋愛において一方が傷つくことになったとき、相手が満足を得るわけではない。双方ともが精神的な充足を得られる場合もあれば双方ともが傷つくような状況もあり得る。この場合、互いの(精神的な)損益はゼロ和ではないのである。

 なんかこれを調べててScatman Johnの『Scatman’s world』という曲の歌詞の一節を思い出しました。

Everybody’s born to compete as he chooses
But how can someone win if winning means that someone loses.

誰しも自分が選ばれようと競って生まれてくるけど、
勝利が誰かの敗北を意味するなら、真の勝者はどうやれば生まれるのだろう。

 「結局は全て自分のため」とかいう斜に構えた寂しい考えをしている時点で敗者です。自分が幸せになるために頑張ることくらい意識せずともみんなできます。「全世界の人としあわせになろう!」とかそういう大きな願いじゃなくてもいいんです。「自分の周りのみんな、自分が知っているみんなと幸せになりたい、幸せになれるはずだ」くらいのことを思えばいいんです。

 長座の状態から二人が背中合わせで腕を組んで協力して立ち上がるやつ、体育の時間にやりませんでしたか?あの状態から普通は一人じゃ立てないし、相手を立たせることもできない。同じように自分が幸せになろうとするのは難しい。誰かを幸せにするのも難しい。でも、誰かと「せーの」で幸せになるのは意外と簡単なんじゃないでしょうか。

 「理想論だ」と言われても、こうやって理想を追いかけ続けないと、実現する理想郷も手の届かない星になってしまうのです。勝者になる夢がかなわないのです。