私はそうは思わない。

 いまや、現代アートは構想して実製作は外部に発注することも少なくない。例えば、「アクリルをこんな形で切り出して欲しい」と設計図を渡して実際の製作は業者に頼む彫刻家も多い。

 佐村河内さんの指示用のスケッチは、「こういうふうに展開させていけば観客の感動や驚きを得られる」という綿密な計算であり、そこに十分創造性を感じさせられる。音楽では細かな音の動きも大切だが、大局的に見た音楽構造も重要であり、これらを以って創作とすることもなんら問題はないだろう。

 また、佐村河内さんを作曲家、新垣さんを演奏者として捉えたとき、図形楽譜を与えて、演奏していることと大差ない。もちろん演奏者の名前を表記しているかいないかの点でこの事件とは大きく異なるが、「演奏者が作曲者に著作者人格権を譲渡しているのか」という視点で、名前の表記は問題ではなく、はっきりと「No」と答えられるだろう。ゴーストライティングした作品について、新垣さん自身、人格・思想と結びつけて語ってるようには思わない。こういう意味で新垣さんは技術者でしかなかったはずだ。

 Twitterなどでこの件に言及したものを見ていると、人によって、特に作品の発信側と受信側の間に「何を持って創作とするか」という認識に乖離があるように感じる。とは言っても、もし障害者手帳の不正取得が認められれば、糾弾されるべきなのはいうまでもない。