ネット上でも普段の会話でもギラギラしてる人が苦手っていうことをよく言ってるんですが、「ギラギラって何?」っていうことをよく聞かれるんで、なんなのかなーと考えてます。聞かれたときには一応、分かりやすいように「所謂、意識高い系」と答えてますが、意識高い系という言葉とはまた違う。意識高いのはいいことじゃん。

 俺がいいたいのはなんていうか、俺頑張ってるぜ!とか、俺成長してんだぜ!とか、そういう風なオーラをまとってる人のこと。

 んで、この前、とあるイベントでとある議員さんのインターンをしている学生さんとお会いしたんですが、そこでその人達にも同じオーラを感じて、あ、これが苦手なのか。っていうのがわかりました。

 その学生さん達がしきりに言っていた「◯◯やらせてもらってます!」っていう言葉。「◯◯やってます!」じゃないんですか?いや、まぁ、もちろん、物事に感謝をしながら謙虚に生きるのは日本人の美徳なんですが、なんていうか、「誰かの許可がないと何もできねぇの?」って思います。お金がかかっても稼いでやるぜ、場所がなくっても作ってやるぜ、むしろやってくださいって言われるくらいやってるぜ、みたいな、そういうのってないのかな?

 今、ボーリング場で面白いことをちょこちょこやってるんですが、決して「やらせてもらっている」つもりはなくて、もちろん「やってあげてる」わけでもありません。寧ろ、一緒に「やりましょう!」っていう感じ。「やらせてあげてる」みたいな感じで対応されると「じゃあ、他のところと一緒にやるんでいいです」くらいの。

 こういう経験とか考えから幾つか思い浮かんだ4つの段階という考え方。4つの段階というのは

  • I should do
  • I want to do
  • We should to do
  • We want to do

の4つ。”I”と”We”の軸と”should”と”want to”の軸。この2つの軸を考えると”I”と”We”は個人でやるか集団でやるかという規模の話、”should”と”want to”はやるモチベーションの話につながりそうです。

IとWeの軸、shouldとwant toの軸” alt=”IWSW” width=”300″ height=”248″ class=”alignnone size-medium wp-image-3153″ />

要求と欲求は似てますが、「社会や周りからの要求」と「自分自身の欲求」という使い分けをしてるつもりです。例えば、俺がやっていることでも、先述のボウリング場のプロジェクトなどはみんなでやりたいことやってるので”We want to do”の視点ですし、お金が必要だからやっているWeb制作の仕事などは”I should do”です1

この4つ、何が一番優れてるとかいう話ではなくて、これらをやっていくバランスが大事だと思います。やりたいことばっかりやっていては、自分は楽しいけど、周りは楽しくない、みたいなことになりかねませんし、大きい規模は基本的に時間がかかるものが多いので、そればっかりやっていては、幅広い経験ができなくなってしまいます。

たぶん、俺がギラついてると感じている人達は”should”に重きをおいている人かもしれない。だから「やらなきゃいけないことは分かった。でも君たちは何がしたいの?」ということが分からず、仮面に素顔を隠されているようで不気味なんだろうと思います。

「やらせてもらう」という言葉を使うとき、それは決して”We”ではありません。しかも、”Do you want to do it?”と尋ねたくなります。本当にやりたいことだと感じていて、結局、誰かと一緒に過ごすのであれば、規模大きくしてしまったほうが、より面白くなると思うのですが。。。

誰かと何かをやるときには「やらせてもらう」ではなく、「一緒にやろう!」という心持ちが大事だと思います。


  1. もちろんお金が欲しいという欲求を満たすという意味では欲求ですが、この部分は何かを「作る」という視点において話しています。