今日、弊社のインターン生が告知していた「仮題:春、麒麟の羽音」という演劇を鑑賞してきました。

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感想

感想としては「すごく好き」の一言に尽きる。

ネタバレをしないように書くのは難しいものだが、この演劇には「ストーリー」などという単純な言葉は似つかわしくない。

シュールレアリスムとSFを行き来するような世界観。ミニマルかと思いきやドラスティックに変化する場面。言葉が「音」と「意味」を行き交い、それによって生み出される脳内の混乱は没入へと誘う薬に他ならなかった。

明示的なストーリーが無いことによって、言葉遊びや唐突な場面転換に寄る混乱に意識が集中している間に、「言葉」が空間を覆い尽くす。他のことに気を取られている間に、「言葉」が畳み掛けるかのように駆け巡る。それはある種、催眠術の手法に近く、無意識に語りかける。言葉が重なり、サブリミナルなメッセージを受け取る。

内容に「衝動」という言葉が見え隠れした。

理系じゃないと通じない言葉の羅列。1フレーズの中の同音異義語。
それ自体は何の「論理」も「意味」もない、あるいは伝わりにくいが、分かりにくい言葉をピボットとして、人間としての理想からくる衝動と現実世界における行動とをブリッジしていたと思う。

これはある種、音楽において、転調する際のコードワークでピボットコードによって、調性を曖昧化することに似ていた。

「名前」を与えることで「存在」を与える。「存在」を与える上で「意味」を与える。「意味」を与える上で「無意味」を知る。そんな作品だったと思う。

明日(とはいっても、日付的には今日だが)の14:30からも公演があるようなので、是非、福岡市周辺にお住まいの方は訪れていただきたい。

とにかく「言葉」とその転調を感じる作品だった。

まとめ

最近、芸術・文学関係でインプットすることをしていなかったが、「衝動、動機に突き動かされる創作意欲」を感じた。自分の作品を作っている間は、自分しか見えない。ただ、モチベーションは外的に与えられる衝動だ。

インプットするのは素敵なことだと、改めて気付かされた。今後は一層、展覧会、演劇やライブなど、芸術を楽しむ時間を積極的に作りたいと思う。