昨日、ゼミの中で「批評的と自然科学的」という言葉が出てきて、論理とは何か?という話をした。そのあと、ゼミの先生と学生がTwitterで議論していた。
汎用性が高いか、乏しいかだけの違いで根本的な手続きに違いはないのではないでしょうか。例えば、ニュートン力学は質量が小さく、速度が遅い場合には正しいですが、質量が大きく速度が速くなったときに、それでは矛盾を生じ、そこからアインシュタインが相対性理論を導いたのです。
では、ニュートン力学は間違っていて、非実用的なのか?
当然そんなことはなく、通常、私達の身の回りにある程度の質量、速度であれば、実用的でしかも正しいのです。つまり、ドメインを限定しても論理が通っていれば価値がある。人を納得させることができるということです。
人文科学ではどうでしょうか。さほど人文科学については精通していませんが、ゼミの中で話した「音楽分析」についていうと、「全ての音楽のリズムを体系化して、こういう解釈ができる!」ということはおそらく難しいでしょう。しかし、例えば、後期ロマン派の音楽にドメインを限定すれば、何か一つの理論が見えてくるかもしれない。「ショパンにドメインを限定すれば」「ショパンの後期にドメインを限定すれば」と絞っていけば、何か一つの理論が見えてくるかもしれない。そうすると、その理論自体が、その時代、その人の技法、哲学、表現力などを表すものになるのです。
つまり、質量、速度にドメインを設定したニュートン力学と、時代、人にドメインを設定した音楽分析論に質的な差異がないように感じます。
その公理系、その論理的手続きが無矛盾であるかはそれを分けることに何の意味があるのか。もしくは自分の知らない論理学があるのであれば、それを知りたい。だから、ゼミの中で問うたわけです。みなさんはいかがお考えでしょうか。
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