今更ですが、去年の11月23日に Mr.Daydreamerの公演「What is it」を見に行ってきました。
[仮題: 春、麒麟の羽音] (http://inter-arteq.com/2018/03/31/「春、麒麟の羽音」を鑑賞してきました/)の脚本家さんの作品だったので、楽しみにしてました。
その感想です。
感想
また再演があるかもしれないので、ストーリーなどに関してはネタバレになってしまうかもしれないので、割愛。
「仮題: 麒麟の羽音」に比べると、個人的にはやや見劣りはしてしまった。
「個人的」というのも、自分のバックグラウンドに音楽があるため、最初、音楽の位置付けがノイズになって、入り込むまで時間がかかってしまった。
時計のような一定のリズムの上に言葉がリズムよく語られる。語られるというより吟じられる。
一見では、言葉のリズムに意識を取られるが、面白さの本質はそこではないとは思った。
面白いと感じたのは、音楽をしましょう、音楽じゃなきゃダメ、というフレーズがコンテクストによって、ときに明るく響き、ときに悲しく響く。
同じメロディーにコードの当て方一つで感情を複数表現するリハーモナイズに他ならないと思った。
また、4人の名もなき登場人物の別々の言葉が重なり合って、聴衆はその言葉を選択的に受け取る。
バッハの音楽を聞いているようなメロディーがあちこちにあるような感覚を受けた。
音群の中で受け取った言葉は聴衆自身が感じているものかもしれない。
その中には、音楽をしましょう、音楽じゃなきゃダメ、というフレーズが混ざり、サブリミナルに印象深く刻み込まれる。
これは「仮題: 麒麟の羽音」とも通づるものがある。
言葉の群が押し寄せて、その言葉が徐々にまとまっていき、一つの言葉に落ち着く。
それは、ペンデリツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」の最後の部分に近い、不安定から安定への進行。
ドミナントからトニカに移行するような段階的な移行ではなく、シームレスに繋がる進行。
まとめ
言葉を音として扱ったときに生まれる不協和と協和を感じる作品だった。
ただ、台詞を音として扱うのであれば、もっともっとやれることがあったように思う。
音楽をもう少し知れば、声を音として、音楽として、より面白く仕上げられるのではないかと思った。
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